KHJにいがた「秋桜の会」当事者の居場所


メンバーのみなさんの声

女性はこの色   男性はこの色



S・Tさん


 僕が居場所に参加するようになったのは、新潟日報の夕方タウン情報の所に秋桜の会が載っ
いるのを見てからです。
僕は軽い引きこもりと対人恐怖症と社会不安症で他の人が人前で自然でいられるのに自分は
それができないから悩んでいました。
この会に参加してなにか参考になるのではないかと思って話を聞きに行きました。
話を聞いたのはいいけど、あまり参考にならなかったです。
それから秋桜の会での話が終わって親の会の代表の方から当事者の居場所があると言うことを
聞いてこの場所に行ってみれば・・・みたいなことを言われました。
そのことがきっかけで居場所に参加するようになりました。
この日はほんの少人数の人が参加していて周りを見るとほのぼのとした雰囲気で過ごせる場所だ
なあって少し思いました。
ここでいろいろな人としゃべれるようになれば少し自分に自身を持つことができるのではないかと
思いました。

居場所には色々な心の病の人がいるけど、僕から見たらほとんどの人は心の病でそんなに悩ん
いる様子もなく楽しそうに自然に話しているから少し驚いています。
こうやって楽しくしゃべったり出来るのもKaccoさんと周りの人が不安をなくしてこの場に溶け込め
るようにあせらず自由にじぶんのペースでやれるような環境にしてくれているからだと思いました。

引きこもりの人や心の病を抱えている人にとって立ち直る、きっかけになる場所だと思っています。
親や身近な人に話してもなかなか理解してもらえないけど、この居場所に行けばKaccoさんや同じ
悩みの人がいっぱいいるからここで悩みを打ち明けると少し不安がなくなって自信につながるかも
しれないと思っています。



H・Kさん

 同じ悩みを持った人たち。学校や職場など普通の場所でも悩みをうちあけて、聞いてもらうとなると勇気がいる。もし悩みを聞いてもらえて、その時は解決したように思えても続けてお互いに相談しあえるようになるかはわからない。「ひきこもり」という珍しいケースになると、同じ思いを共感できる人を探すのは難しいし、『自分は「ひきこもり」で悩んでいるんだけど』と話を切り出すのは、ほとんど誰もできないと思う。だから、孤独に苦しんでいる人が、より孤独になってしまう。
 僕も当事者の会に参加する前はそうでした。ちょうど学校をやめて友達がいなくなって、だんだん人と話すのが億劫になってきた時、でもなんとか仲間を作りたいと思っていたときに、当事者の会が始まりました。
 はじめは、対人関係のブランクがあるせいか、思う通りに人とかかわれずに、かなり悩みました。でも会のリーダーのkaccoさんが、「ありのままで無理しなくていられる場所にしたい。」と言ってくれた時に、肩の力が抜けました。それから徐々に、自分の中で作っていた「ココロのかべ」が低くなって、自然な自分を少しずつ表現できるようになりました。その葛藤の中で実感したこと。それは自分の心の中で人に対して作っている、「ココロのかべ」を低くするには、同じ悩みをもった人たちとかかわっていくしかないという事。だから、当事者の会とかかわりをもてれば、いきなり「ココロのかべ」を低くする事は無理でも、皆と一緒に少しずつ低くし、自分で知らぬ間に築いた、先入観、ひとりよがりの思い込み、そのほか、悪い感情をうちくだくことができると思います。
 また、この会が普通の自助グループと違うところは、自分の抱えている悩みを分かち合うだけじゃなくて、いつも楽しい雰囲気があるところです。普通の自助グループは、悩みをさらけ出してすっきりするだけで終わりですが、うちの会はkaccoさんのキャラクターのおかげなのか、いつも楽しいし、自然に皆が笑顔になっていきます。そのため、次に何か行動してみようかという意欲、パワーが出てきます。当事者の会に参加すればするほど、自分が前より笑っている回数が多いのに気付くはずです。
 また、最近は当事者の集まりだけにとどまらずに、ボーリング、バーべキュー、忘年会など外へ向けての活動も広がってます。



M・Kさん

 カッコさんを中心とする温かい場所。カッコさんの笑顔でみんながなごむ。そして、何かしら悩みを持った人達なので誰も責めないし、声を掛けてくれる。普段、地元で余り外に出ないけど、居場所なら本当の自分を出せる。本当に根っこでつながっているのだと、実感できる場所です。



M・Hさん

 今の居場所は私の居場所ではない。この居場所が出来た最初の時から参加している私は、時と共に居場所が変わっていく姿をずっと見てきた。同じような悩みで苦しんでいる人達との交流、そして誰一人私の話や私自身を否定する事なく受け入れてくれる安心感・・・まさしくそこは私の居場所だった。まだ初めの頃は色々な想いや疑問と少しの抵抗を感じながらも少しずつ人数も増え、にぎやかになっていくのは喜ばしい事だった。しかし集団が苦手な私は、人数が多くなるに連れてだんだん居心地が悪くなってきた。どんどん人が増えていく恐怖と居場所へのマンネリもあったかも知れない。私自身、話す事(話題)もなくなってきた。人の話を聞くのも疲れた。
 とにかく今の居場所は私にとっての居場所ではない。それでもなぜ私は居場所に通い続けるのか・・・?居場所へ行かなくなれば人との交流もなくなるという不安があるからだ。現時点で私には他に行く所がない。もちろん居場所で知り合った皆に会えなくなるのも淋しい。そして皆に自分の事を忘れ去られるのも淋しい。


A・Nさん

読んで字の如く         
 きっかけはラジオ。以前「ひきこもりラジオ ただいま冬眠中」
(FM POR
T)というラジオ番組のことを新聞で知り、毎回楽しみに聴いていた。
その後、その関連本を見つけて読んだ時、ここの存在を知った。

ちょこっと勇気を出して、行ってみようと決心した。行ってみてびっくり、
私の予想での<自助グループの集まり>像と違い、明るく和やかな雰囲気。
初めて行ったその日の帰り、自分にとって新たな展開とか、心の拠り所になりうると
予感した。

<居場所>には、三つの意義があると思う。一つは、気持ちを共有・
共感できるということ。 
状況や心境、傷みって、経験した人でないと、わからない部分ってあるから。
また、
<居場所>はリハビリ的側面もあると思う。ひきこもりに関する本やビデオによると、
コミュニケーション等が不得意な傾向にある場合が多いそうだし、私も含めて皆、
人間不信や心の傷の一つ二つあるはず。そういう意味でもリハビリやトレーニングの場。
そして何より、根底の部分で、自分を否定されない、受け止めてもらえるっていう
安心感があって、それが今の自分にとってとても大きいし、
心の拠り所や支えになっているのだ。



H・Aさん

 居場所に顔を出すようになったのは、昨年の10月ごろからです。  
それまでは日中のほとんどを自宅で過ごす、いわゆるひきこもり。
数年続いていたその状況に両親がたまりかね、ある講演で知った
先生を訪ねて、長岡の病院に行ってみないかと誘われた。
それをきっかけに二週間に一度の診察をかね、病院に集まる同年
代の人とお茶やおしゃべりに参加するようになりました。
それが今の居場所です。
 二週間に一度、長岡までのドライブ、顔見知りになった人とのお
しゃべり、トランプをして笑ったりする時間がそれまでの自分になか
ったリズムを与えてくれます。
 昨年末にはクリスマス会が企画され、ソフトバレーで汗を流したり、
ケーキを食べたり楽しい時間を過ごせました。「居場所」の出会い
をきっかけに年賀状が届いたり、スポーツに誘われたりと、「居場所」
からひろがる変化を楽しみながら過ごしています。

K-BOX   トップッへ戻る